どうして端午の節句に鯉のぼりを飾るのでしょうか、また、鯉のぼりはどのようにして生まれたのでしょう
親族みんなで男児の健康を祈り、出世魚にあやかって出世を願うもの
端午の節句が五節句の一つとして定着したのは江戸時代のころだと言われています。古来中国の風習が日本に伝わり、その後時代とともに変化し、子どもの日は日本独自の風習として根付くことになりました。
初めのころに飾られたのは鯉のぼりではなく、武者のぼりと呼ばれるものでした。今でも地方によっては鯉のぼりとともに庭に飾っているところもあります。この武者のぼりには、家紋や武者絵、金太郎などが書かれており、ここに立身出世のシンボルとしてよく描かれていたのが鯉だったのです。そこから少しずつ変化し、鯉だけが独立する形となって現代のような鯉のぼりになりました。今ではおなじみの丸い口に紐がついた風に揺られて泳ぐスタイルは、明治以降に定着しました。また、鯉の種類も、現代主流となっているのは、真鯉、緋鯉、子どもの鯉がいるものですが、初めは真鯉だけでした。
そして、一番上にある吹き流しにも、きちんと意味があるのです。吹き流しに使われている青、赤、黄、白、黒は、古代中国の陰陽五行説に由来しています。それぞれ、木、火、土、金、水を意味し、この世の全てのものは陰と陽の気と、これらの五行で成り立っているという考えです。
このように、国を渡ってやってきた鯉のぼりは時代とともに様々な変化を遂げてきました。しかし、子どもの幸せを願うという気持ちは、昔も現代も変わりありません。